他人のふり見て我がマーヤ直す

2024年5月21日

岩城和平先生

t f B! P L
最近、気づいた事があります。この世には無数のマーヤがあるとしても、悩みの種類に関していえば、それほど多くはないのではないでしょうか?


人間関係だったり、仕事の失敗だったり、経済的問題だったり。大体みんな、同じような事で悩んでいます。


これこそ私だけの悩み、オリジナルだ!なんてものは存在しません。しかも何度も同じような悩みが繰り返されています。


映画などを観ていても、他人事ではないな、と思うことはないでしょうか。


そこで考えました。映画の登場人物のマーヤを解くことで、自分のマーヤを解く能力も上達するのでは?と。


他人だからこそ、客観的に分析することが出来ます。そこには自分と共通するテーマが隠れているかもしれません。


マーヤ解きが難しくて出来ない。そんな場合の練習方法としても、有効なのではないでしょうか。我ながら画期的アイデア!


わたくし、最近見た映画「流浪の月」で、勝手に主人公のマーヤ解きをしてみました。自分と共通する悩みがあるからです。


フィクションゆえに、エネルギー的にやられる心配もありません。



映画を観た感想ですが、個人的には楽しめました。暗くて悲壮感漂う話が、私は好きです。



流浪の月 あらすじ

9歳の少女、更紗(白鳥玉季)は雨の中、公園のベンチに座って本を読んでいました。


そこに大学生の佐伯 文(松坂桃李)が現れ、傘をさします。



家に帰りたくない、という更紗。彼女に両親はおらず、引き取った伯母夫婦の息子に性的虐待を受けていたのでした。


家…来る?と尋ねる文。そこから二人は一緒に暮らし始めます。文との生活は自由で穏やかなものした。


しかし、更紗の行方不明が事件としてニュースで流れます。やがて警察の捜査により、文は逮捕されてしまいます。


15年後。24歳になった更紗(広瀬すず)には恋人も出来て、平穏そうに暮らしています。カフェで働く文と偶然再会するまでは…。


少女時代の記憶が蘇る更紗。彼女は文の隣の部屋を借り、住み始めます。昔に戻ったかのような二人の生活が再び始まります。



文の秘密

この物語でずっと謎となっているのが、文は小児性愛者なのか?という疑問。


更紗と再会したとき、文には付き合っている女性がいましたが、性的関係を持つことを拒み続けます。どこか怪しい。


しかしそこには、文の恐ろしくも悲しい秘密が隠されていたのでした。



文の秘密 ネタバレ

ここからはネタバレ注意です。知りたくないという方は、映画を鑑賞してから読むことをお勧めします。


※以下ネタバレ


文の恐ろしい秘密。それは、ちんこが小さいことでした。映像では暗くてちゃんと確認できませんが、恐らく幼稚園児くらいのサイズかと思われます。


小陰茎症という、れっきとした病名が付いているそうです。性的に繋がることができないという理由で、大人の女性を避けていたのです。


残念ながらこの部分に関して、私には全く共感できない悩みです。なぜなら私はデカいから。


昔、クロコダイル・ダンディという映画がありました。



「これがナイフだ!」といって自信満々にデカいナイフを出すシーンがあります。私のもそんな感じ。


私が文に励ましの言葉を掛けるとしたら「ドンマイ!気にすんな」って感じでしょうか。説得力ゼロ!


しかし私にも、外見的コンプレックスはいくつもあります。胃下垂でお腹ぽっこりだし、痩せ型の貧弱体系。その中でも特にやっかいなのがチック症。


顔が付随的にピクピク動いて非常にうるさい。チック症に関しては20年以上前からの悩みであり、今なお攻略できない難攻不落のマーヤです。


症状の違いや苦しみの程度は違えど、身体的な悩みがあるという点では同じなのです。



文のマーヤを解く

ここではまず、マーヤは明確なので、みこころ解きにフォーカスした方が良いかと思います。小陰茎症で運命はどう展開したのか。


私の経験談ですが、数か月前なら今ほど落ち込むマーヤに発展することはなかった、というケースがあります。


深刻なマーヤに陥ることにも神の目的があるのです。文がもし「俺、小さくてもへちゃらだし、へへ」って感じなら、更紗と出会う事すらなかったでしょう。


文は大人の女性に恐怖を感じていました。しかし子供なら別です。それが文が公園にいた理由です。


しかも文は二次性徴がこないことが原因で、母に認められず孤独でした。孤独でなければ更紗を家に泊めなかったかもしれません。


更紗の方はといえば、彼女は幼少期の性的虐待で、トラウマがありました。男性との性行為が苦痛だったのです。


肉体関係を望まない二人。お互いが特別な存在であり、運命の出会いだったのです。


いやいや、所詮は映画ですから、というなかれ。映画以上に奇跡としかいいようのない出会い話を、私は聞いたことがあります。


まさに事実は小説より奇なり、なのです。



みこころへの感謝の力

私が思うに悩みに関しては、どんなに心理学を学んでも、カウンセリングを受けたとしても「神のみこころ」という視点がない限り、不完全なものに終わります。


その理由は、悩みの原因に対する感謝が生まれないからです。


文で例えるならば、更紗と出会えたことを偶然と考える限り、小陰茎症に感謝はできません。その理由が理解出来ていないからです。


岩城和平先生曰く、神に向かう人には二つのタイプに別れるといいます。ひとつは追い込まれて祈る人。その場合、苦しみが過ぎれば神も忘れてしまいます。


もうひとつが感謝を通じて神と繋がる人。


最初のタイプは、一生苦しみ続けます。追い込まれない限り祈らないからです。しかし感謝して祈る人には、感謝するような出来事が起こってくるそうです。


これは理に叶っていると思います。神が私たちに望むことは、神と真剣に向き合うことだからです。


私も最近になって感謝を中心とする祈りに変えました。実践すると意外と感謝する出来事は多いことに気付きました。


日々、些細なことにも感謝していると、神に対して愛が生まれてきます。私はこれに関してかなりの手応えを感じています。


仮にみこころが完結しておらず、結末が予測できないとしても、神への愛が深まれば未来に対する信頼も深まります。


名著、ラスト・バリアの中で、ルッシャドの師、ハミッドがこう言っています。


すべてが分かれば、君はあらゆる瞬間に、感謝するようになるだろう。真の姿においては、どの一瞬も完璧だからだ。



信頼、信頼、また信頼。そのためには毎日、瞬間、神に感謝して生きることが近道だと感じます。私にとって、すべて最善の出来事が起きていると信じて。


それでは今日はこの辺で。皆さま、よいみこころライフを。

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