ラスト・バリアを読みました。絶版だったので中古本をネットで購入。しかもかなりの高値で。
そこまでして買った理由は、覚者、岩城和平先生が絶賛していたからです。
先生が悟りを開いたあとの話。夢の中で、本の表紙に描かれてある旋回舞踊のヴィジョンが見えたというのです。
そこで、書斎で眠っていた本を引っ張り出して再読したところ、自身の体験と一致することが書かれていた、とおしゃっておりました。
チベット仏教を長年修行してきた先生ですが、覚醒後の意識状態にぴったり当てはまるのが、スーフィーの教えなのだそうです。
私もかなり昔に読んだ記憶はあるのですが、その時は「ふーん」ってな感じで、完全に忘れておりました。
しかし今読むと、確かに名著だと分かります。しかも読むたび新たな発見がある。その時の自分の成長度合いによって、理解の深さも変わるといったところでしょうか?
ラスト・バリアについて
本書はイギリス人の著者、ルシャッド・フィールドの自伝的小説です。
ロンドンの骨董品店で、ダルウィーシュ(スーフィーの修道僧)のハミッドと出会い、それを機にトルコへ渡り自己探求の旅に出る、という物語。
文学書としても非常に質が高く、イスラム神秘主義スーフィーの教えについて学ぶ本としても、大変素晴らしい1冊です。
ハミッドの愛の鞭
この本の主役とも言える人物。それがルシャッドの教師、ハミッドです。
彼が何者なのかは、ダルウィーシュということ以外、詳しい記載がないので触れずにおくとして(主役なのに?)、ルシャッドに対する指導がとにかく厳しい。
霊的修行という名のもと、無理やり酒を飲ませ泥酔させたり、ペンションに独りぼっちにさせて、何か月も放置したり。
そんなハミッドの口癖は「お前は馬鹿だ!」。短気ですぐ怒鳴ります。
心身ともに疲れ果てたルシャッドは、ついに修行を断念し、イギリスに帰国することを決意します。
ルシャッド・フィールドさん。 |
ハミッドのひどい態度を見ていると、むしろあきらめて当然、頑張れルシャッド、奴の生徒なんかやめちまえ!と応援したくなるのは私だけでしょうか?
しかし注意深く読むと、ハミッドのすべての言動に理由があるのが分かります。そして愛も。
これは人生で遭遇する苦難と、そこから学んでいく過程に似ていると感じました。だからハミッドは繰り返し「この体験から君は何を学んだかな?」と尋ねるのしょう。
あるいは意図的に混乱させる状況を作り出し、イギリス人特有の理屈っぽさや既成概念、プライドなどをブチ壊す目的もあったのかもしれません。
神を現実とする
この本は至るところに、はっ!とされされるような、宝石のような言葉が散りばめられています。
どの言葉が心の琴線に触れるかは、読む人によって様々でしょうが。
特に私が心を惹かれたのが、「神を現実とせよ、さらば、神は君を真実とす」というスーフィーの賢者の言葉です。
神を現実とする、とはどういう意味でしょうか?そもそも現実とは何でしょうか?
例えば地球の反対側の出来事は、私にはまったく関係のないことです。認識されないことは、私にとって現実とは言えません。
しかし、そこに家族や親友が住んでいれば、たちまちリアルなものになります。意識するからです。
つまり神を現実とするとは、神に意識を向けることであり、強く意識するためには、日々、神を想起する必要があると私は思うのです。
本の中でジクルという言葉が何度も出てきます。アラビア語で直訳すれば「記憶」という意味で、神の名を繰り返し唱えて思い出す方法です。
スーフィーは、信仰だけで神に到達しようとする、シンプルな道です。そこで重要になるのがジクルや祈りの実践です。
ハミッドは、「生活のすべてが祈りとならなければならない」と説いています。私も最近、朝晩の長めのお祈りとは別に、日常の中での祈りも実践し始めました。
入浴中やトイレに入っている時。歯を磨いている時や髭を剃る時。運転中や運動中など。日に1~3分程度の祈りを20回くらいしています。
間隔を開けず多く祈ることで、神に対する意識が生活の中に浸透してきます。神を日常生活の一部にする、簡単な方法なのでお勧めです。
偶然は存在しない
もうひとつ、ハミッドの口癖が「偶然はない」です。実際、ルシャッドの旅は偶然とは思えない出来事の連続です。
不思議と出会う必要のあるシャイフ(指導者)達に出会えるのです。まるで何かに導かれているかのように。
この偶然についてルシャッドが、とあるシャイフに質問した時の答えがこちら。(以下引用)
シヤイフはしばらく無言だった。やがて彼は言った。「一つ物語を教えよう。もし、この話を理解できれば、あなたは自分の問いに対する答えを得られるだろう。
時が始まった時、言葉があった。そして、その言葉は神によって語られた。その言葉は、”在れ!”というものだった。
その瞬間から、あらゆることが存在し始めた。その瞬間にこれまでのすべての創造が、ただそこに在った。
そして、この言葉の中に、我々が目にするすべてのものが起こるために必要なすべてのこと、そして、我々がこの世の向こうに世界の真実を見るために必要なすべてのことがあった。
だから、始まりの中にすべてがあるのだ。」(引用終わり)
この箇所を読んで妙に納得してしまいました。私の経験でも、後から振り返った時に、初めから「この結末ありき」と思わせる出来事が多々あるからです。
それを運命と呼んでも、神の必然性と呼んでもいいと思います。
ラスト・バリア再版
独特の味わいと、読むたび違った感想を持つ不思議な本、ラスト・バリア。最近、熱烈なファンの要望に応えて(かは知りませんが)再版されました。