朝起きてすぐに、布団の上で祈っていたのですが、これが続かない。
シンプルながら非常に大切なことを語っておりますので、ここで紹介したいと思います。以下、和平先生の勉強会から抜粋。
和平先生 修行をやれないって人がいるじゃん。こういう人に欠如してるのが忍耐力なの。
忍耐力を鍛えればいいんだけど、難しいことをやろうとするから失敗するんだよ。例えば朝4時に起きるとかね。
毎朝4時に起きるってことを自分に課すってのは、負担が大き過ぎなんだよ。
簡単に出来ることだけど、毎日続けるためには、それを意識しないと出来ないっていうのを日常に入れていくのが良いんだよ。
夜、必ずお祈りするとかね。それこそ般若心経を1回読むとか。1回読むのって大したことないじゃん。
忍耐力を鍛えるのに、毎日1回で良いの。般若心経を必ず毎日読む。
5分もあれば済む話だよ。それを毎日続ける。酔っぱらって帰ってきても読む。これが観音経になると、もう無理なの。出来ません!ってなる。
でも般若心経を1回読むくらいなら、フラフラしてても絶対できるから。軽い根性あれば。そんな簡単なことだけど、自分との心の闘いがあるわけだ。
それを毎日続いていくことによって、自分の意志がちゃんと機能しているってことを確認する。
ロウソクに火を灯して、お線香を焚いて、きちんと正座して般若心経を読む。大事なのは形なの。形ってのは、その形が発するエネルギー状態ってのが必ずある。
結跏趺坐とか半跏趺坐の姿勢でお祈りすると、言葉が放たれた矢のように飛んでいかない。お祈りの時は両膝を正面に向けるのが大事なの。
正座のように両膝が前だと、祈りの言葉がビューンって飛んでいく。
イスラム教では立ったり、地面に頭をつけて祈る。仏教でも禅宗なんかは、瞑想の時は座禅だけど、勤行の時は正座なんだよ。
あとは煙。お線香の煙ってのは、部屋に充満してくると、煙の向うの世界との接触が起こってくるから。
だから昔から、教会でもモスクでも、仏教の寺院でもお香を焚く。アメリカ・インディアンはセイジを焚く。
煙は消えていくじゃない。煙と共に祈りが神に届くと考えるわけ。煙がこっちの世界と向こうの世界の接点になる。
ロウソクを灯してお香を焚いて、正座してからお経を読むって、いかにもセッティング完了って感じがするじゃん。
例えば家で、「そろそろやる時間だ」っていって、普段のままの姿勢で同じ場所でやるのは、やってる感がなさ過ぎなの。
やってることには変わりないんだけど、やってる感がないんだよ。ちょっと面倒くさいって感じを入れた方が良い。
その場所に行って、ロウソクに火を灯して、お線香を焚いてからお経を読むって、面倒くさいじゃん。
でも、普段生活してる場所でやるんなら、もっと簡単にできると思うじゃん。でもそのやり方だとしばらくすると、やらなくなる。忘れちゃうの。いつのまにか。
それをやるって形が覚えている。記憶ってのはね、筋肉が記憶するって言われてる。脳ではなくて。
アメリカのロルフィング・マッサージってのは、筋肉の中に記憶や感情が溜め込まれるって考えるから、筋肉をほぐすことでトラウマを解消するって方法がある。
それって本当だと思うの。なんでかっていうと、家族に「帰りに卵買ってきて」って頼まれるでしょ。絶対に忘れて帰ってくるの。俺、ものすごく記憶力が悪いの。
何か良い方法ないかって考えたときに、ロルフィングのことを思い出したの。仕事に行く途中で店の前に来たら、筋肉に覚え込ませる。
体を叩くとか。おかしな動作をするとか。そうすると帰ってきて店を見たら、絶対に思い出す。これ試してみ。必ずっていうほど思い出せるから。
(講和より抜粋終わり)
私の体験談
買い物を忘れないように体に覚え込ませる方法は、私も何度も試しました。私自身、記憶力が非常に悪いものでして。結果として思い出す確率100%!
難しい動作は必要ありません。「卵、タマゴ」と唱えながら肩を交互に数回叩くとか、普段やらない動作をするだけ。5秒もあれば終わりますが、その効果は絶大です。
いかに心と体が繋がっているのかが分かります。それがヨガの目的なのでしょう。心を直接変えようとするより、体に働きかけるほうが簡単です。
お祈りなども私の場合、立った姿勢が1番集中できる。
逆に座禅のような胡坐をかいた姿勢だと、雑念が沸いて集中出来ません。恐らく座る姿勢というのは、考える姿勢なのだと思います。『考える人』って像があるくらいですので。
お祈りをする前に、部屋を少し掃除してから、セイジを焚いて音楽を流し、準備が整ったら合掌して開始する。この一連の動作すべてが大事なのです。
動作が習慣化の重要な要素とするならば、セッティングに時間を掛けることは、想像以上に効果的です。皆さんもお試しあれ。