私は過去、世間一般で評価されるような成功を望んだ記憶がありません。一旗揚げたいと考えたこともありません。
ですが、成功哲学書はけっこう読みました。例えば「思考は現実化する」。世界的大ベストセラーです。原点にして頂点。アルファにしてオメガ。
ナポレオン・ヒル博士
著者のナポレオン・ヒル博士は、延べ500人以上の成功者たちを調査し、執筆に20年以上の歳月をかけたそうです。
私がこの本を読んだのは、恐らく30年近く前。昔過ぎて、ほとんど覚えていません。この時点で多分、成功者にはなりませんよね。
そこで、あらためて読み返してみたところ、成功するための「6か条」たるものが書かれてありました。
第1条 実現したい願望をはっきりさせる。
はい。この段階で脱落しました。実現したい願望が思い付きませんでした。このステージをクリアしないと第2条に進むことができません。
私の場合は、何かで成功したいから本を読むのではなく、成功者の思考回路を知りたいから読む、といった感じです。どのような物の見方をするのか?だとか。
もちろん、学ぶところが多いのは事実です。実際私も、この本で書かれていた教えの中のひとつだけは忠実に実践してきました。
それは「プラスアルファの魔法」です。以前、こちらで記事にもしました。
努力と才能だけでは不十分
成功哲学書を読むと、成功者たちに共通する資質を探り、体系化したものが多いという印象があります。
例えば努力。成功者たちに絶対的に共通する資質です。ボクシング漫画「はじめの一歩」にこんなセリフがありました。
努力したものが全て報われるとは限らん。しかし!成功した者は皆すべからく努力しておる!!
おっしゃる通りです。まぎれもなく名言ですが、ひねくれた性格のせいか、逆から読んでしまいます。
成功した者は皆すべからく努力しておる。しかし!努力したものが全て報われるとは限らん!!
元ボクシング世界チャンピオン、畑山隆則さんは言いました。才能のないヤツは100年やっても無理!
これまた名言です。では努力と才能があれば成功するのでしょうか?
畑山さんがまだ無名だった時代。ボクシングの名門、ヨネクラジムに通っていたそうです。そこは何百人も生徒がいる場所。
畑山さんはこう思ったそうです。突出した才能があれば、必ず指導者の目に止まるはずだと。
そう信じて、ひたすら練習に励むのですが、誰からも声が掛からず。スパーリングすらさせてもらえません。
自分の才能を見抜けない指導者たちが悪い!と、畑山さんは京浜川崎ジムへ移籍します。
そこで名トレーナー、柳 和龍(ユ・ファヨン)氏に見い出されます。これが運命の出会い。そこから世界チャンピオンまでの物語が始まります。
当時を振り返り、畑山さんは『目に見えない力に導かれた』と語っています。
「思考は現実化する」の中で、マスターマインドという言葉が出てきます。『同じ目標を実現するための、二人ないしはそれ以上の協力関係』という意味だそうです。
過去、マスターマインドなしに偉大な力を発揮した人はいないと、この本では断言しています。しかし、そのような仲間に出会えるかどうかは運次第。
才能と努力、そして運。様々な要因が畑山さんを世界チャンピオンへと導きました。私はそれを運命と呼びます。
成功の法則はあるのか?
潜在意識に願望を植え付けることで、運を引き寄せるという考えも否定はしません。しかしそれすら、運命の手中にあると私は思うのです。
成功者の多くが、運命だったと語るのをよく聞きます。幸運な出来事があまりにも重なり過ぎて、偶然とは思えないからです。
ただ運命という言葉より”神のみこころ”という表現の方が私は好きですが。
神のみこころがなければ、どれほど成功の法則を実践したところで、成功者にはなれないというのが私の考えです。
これが、成功哲学書を読んでも、ほとんどの人が成功しないと思う理由です。
私だって一歩間違えれば、成功者になっていた気がするのです。しかし、一歩も間違わないから、みこころなのです。神のなすことは完璧ですね。
はじめの一歩を踏み出す
成功するしないは別として、多くの人は何かに情熱を注ぎたいと思っています。しかしその”何か”が見つからない人はどうすればいいのでしょうか?
私がブログを書くとき、テーマ以外に何を書くかは決めていません。起承転結でいえば「起」くらいなもんです。
ピカソは言いました。『何を描きたいかは、描き始めるまで分からない』と。
私も同じで、書きながら見えてくることがよくあります。その結果、最初に考えたものとは全然違う内容になって、テーマ自体を変えることもあります。
ブログですらそうであるならば、やってみて初めて見えてくる景色もあるはず。行動するからこそ展開が生まれるわけです。
「思考は現実化する」の鉄の掟、第1条『実現したい願望をはっきりさせる』と言われたところで、願望がない。
そんな私に無かったのは、願望ではなく動くことだったのかも。
であるならば、少しでも興味があれば、とりあえずやってみる、くらいのフットワークの軽さ大切なのかもしれません。
自分でも知らなかった、思わぬ才能を発見したりするかもです。
今日の話はそんなところでしょうか?っていきなり終了。わたくしめ、起承転結の「結」を考えてませんので。