人はなぜ、自分の欠点を隠したがるのでしょうか。
この作品には、そんな疑問を考えたくなる魅力が隠されています。
編集者の輝くセンス
以前の記事で『赤毛のアン』という邦題に、さんざん文句を言った記憶があります。ですが本当はとても気に入っています。シンプルで覚えやすい。
原題の、グリーン・ゲイブルズのアンを直訳すると『緑の切妻屋根のアン』となります。
暗号みたいなタイトルですよね。他にいくつか候補があったようです。
『夢見る少女』『窓辺の少女』『窓辺に倚る(よる)少女』
どれも、どこか決め手に欠ける印象があります。それでも最初は『窓辺に倚る少女』に決まったそうなのです。
ところが、当時の三笠書房の編集者、小池喜孝さんが『赤毛のアン』という題名を提案。
理由は「欠点こそが、その人を最も輝かせる個性になる」。この逆転の発想が、不朽の邦題を生んだのです。
当時の編集者の光るセンスに脱帽します。
欠点こそ武器
こんな話を聞いたことがあります。ある会社に、どうしても契約を取りたい頑固な社長がいました。
何人もの口が立つ優秀な社員が説得しても、首を縦に振らない社長。そこで送り込まれた最終兵器。
それは社内で最も「話し下手な男」でした。
翌日、社長から、契約成立の連絡が入ります。驚く社員たちに、彼はこう答えました。
「僕は特別な話はしていませんよ。ただ相手の話を聞いていただけです」
彼は、話し下手でしたが、誰よりも聞き上手だったのです。
この社長は、饒舌に話をする社員ではなく、自分に寄り添う姿勢を信頼したのです。
この『欠点が信頼を生む』という構図は、アンという少女の在り方そのものです。
そばかすだらけで痩せっぽち。髪の毛を緑色に染めたりと、まぬけな失敗も多い。そんな欠点があったからこそ、人は親近感を覚えたのでしょう。
欠点があるから愛される
聖書の「コリントの信徒への手紙二」には、こんな言葉があります。
わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。
私たちは欠点を、埋めなければならない「問題」と考えがちです。人は、欠点を弱さだと思うからこそ、それを隠そうとするのかもしれません。
しかし、その空間がなければ、何かが入る余地もありません。
弱さを隠さず、ありのままを認めたとき。そこに愛や慈悲が宿るための「隙間」が生まれます。
その隙間があったからこそ、厳格で頑固だったマリラが、愛を注ぎ込めました。まるで固い岩の隙間から、水が染み込むように。
アンの弱さが、マリラの中にあった「母性」を引き出した。そう考えると、欠点とは恵みにもなりえるのです。
邦題の「赤毛」は、欠点ではありません。数あるアンの欠点の象徴であり、彼女が愛される理由そのものです。
個性豊かな少女アンを、見事に表現したタイトルです。欠点は長所にもなりえると『赤毛のアン』から学ぶことが出来ます。
100年以上読み継がれているのも、どこか納得してしまいます――
と、偉そうに語っている私ですが、実はまだ原作を読んでいません。映像の世界で彼女に恋をした一人です。
しかし、アンのように欠点が魅力なのだとしたら。
原作未読という私の致命的な「隙間」があるからこその、偏見のない洞察ではないでしょうか。
