常識にとらわれない生き方。そう聞くと、かっこいいですよね。しかし裏を返せば、非常識人間。人と違うことをすれば、必ず批判されるものです。

「おめでとうエミーおばさん」を観れば、それがよく分かります。
あらすじ
一緒に暮らしているエミーとマディ。歳も同じで80歳を迎えようとしています。
マディには唯一の肉親である娘がいますが、今年も誕生日に会いに来てくれません。来るのは決まっていつも、忙しくて行けません、と書かれた手紙だけ。
寂しさと失意のなか、マディは人生の幕を下ろします。
エミーにも三人の子供と孫がいましたが、やはり何年も会っていません。息子のひとりは、戦争に行って以来、消息すら不明。
マディの葬儀になって、ようやく家族が訪れました。それを見たローラは疑問に思い、こう言います。
生きているうち葬式をやれば、サヨナラを言えるのに。


これを聞いたエミーは閃きます。自分が亡くなったことにして通夜を行い、家族を呼ぼうと考えたのです。
エミーは計画を実行するため、ベイカー医師とチャールズに協力を求めますが、当然反対されます。
ベイカー医師にはペテン行為だと言われ、チャールズにも非常識すぎると。エミーは、こう反論します。
「死ぬ前に、ひと目でも子供たちに会いたい、その気持ちが非常識って言うのかい。
大体、馬鹿げた習慣じゃないか。死んだあとに会いにくるなんて。私は抱きしめたり、話ができるうちに会いたいの。
つまらない常識は捨てないと。なぜ、生きている私じゃなく、死んでいる私を喜ばせるの。
年に1、2度の義理の手紙。お金に困ってないか。足りないものはないか。私はこう返す。足りないのはお前だよ。いつ帰ってくれるの。
でも葬式なら、みんな来る。人としての義務だからね。そして涙を流して語るわ。死んだ私が聞けないことを。
あなた達も、うちの子供たちと同じなのよ。死ななきゃ、親切にしてくれない」
これを聞いて反論できないベイカー医師とチャールズ。しぶしぶ通夜を行う手伝いをします。
しかし、これを聞いたチャールズの妻、キャロラインが激怒します。許されることではないと。今度はキャロラインが説得しようと試みます。

この物語から分かる事
何か、常識にとらわれない事をしようとすると、必ず反対されるものです。問題は誰が反対するのか?です。
それは自分に近い人達です。家族や親友など。良識ある人たちから、批判を受ける事となります。
ここが最もやっかいなポイント。もし、非常識と思える何かをやろうとすれば、愛する家族や友人などから、責められる可能性さえあるということです。
この物語の中でも、葬式のために訪れた子供たちから、母が生きていたことを知って、こう言われます。
「お母さん、なぜこんなひどいことをしたの?」
エミーには強い意志がありました。勇気と度胸も。それに加え八十歳という年齢。親友のマディの死を見て、自分の死も意識したのです。
常識にとらわれない生き方とは、楽な生きかたではありません。むしろ、もっともハードな道です。
他人の意見を聞かない、傲慢な生き方でもありません。自分の心に従った生き方です。
誰にでも出来ることではないと思っています。そもそも、私がまったく出来ていないのに、他人にやれとは言えません。それでも、出来ることもあると思います。
それは他者に、自分の価値観を押し付けないことです。自分と違う考えだからといって批判ばかりしないこと。
簡単なところから始めるべきです。実行するのに、勇気も度胸も必要ありません。
他者に無害な人は、個性を求められる今の時代、あまり評価されないように感じます。しかし私はそうは思いません。それも立派な美徳です。
他人に対して、寛容でありたいものですね。そうすればエミーおばさんのように、信念を貫こうとする人間が、生きやすい世の中になると思います。
物語の最後
自分の子供たちから、非難の言葉を浴びるエミーおばさん。

それに対して彼女はこう答えます。
「これしか方法がなかったからだよ。寂しくて夜も眠れなかった。家族のみんなが集まってくれる場は、お通夜くらいだ。だから、こうするしかなかった。
私は今日でもう80歳だ。あと何回誕生日を迎えられるか。もしかするとこれが最後かも。そう思ったら、騙してでも、会いたかったんだ」
涙ながらに訴えるエミーに、初めて自分たちの過ちに気づく子供たち。抱き合って和解すると、お通夜から一変、誕生日祝いに早変わり。
おめでとう!エミーおばさん。
この作品も泣けました。親の心子知らずとは言いますが、何回でも観るべきドラマですね。
昨日は私の母の誕生日。お祝いに、新型コロナで振り込まれた定額給付金を、全額渡しましたよ。
結局、現金が一番喜ぶ、私の母でした。