名著『赤毛のアン』。この邦題に私は疑問があります。(今更?)
赤毛のアンの原題は『グリーン・ゲイブルズのアン』です。著者のルーシー・モード・モンゴメリはこの原題に、強い思いを込めたのではないでしょうか。
なぜならこのタイトルは、アンの最も深い欲求であった所属欲求を表現しているからです。
アンと所属欲求
男の子が欲しかったカスバート家のもとに、孤児院から手違いでアンが訪れます。
マリラから間違いだと聞かされ、大泣きするアン。
しかし紆余曲折あって、最終的にはアンを引き取る決断をします。マリラがそのことを伝えた瞬間が、アンの人生の最高潮です。
タイトルを付けたであろう場面を原作で調べると、こう書かれていました。
あなたはただの「グリーン・ゲイブルズのアン」よ。
鏡に向かって、彼女は真顔で言った。
所属欲求とは、何らかの社会集団に所属したい、一員となりたいという欲求です。
グリーン・ゲイブルズのアンという呼び名には、孤児だった彼女が家族の一員となったという意味が込められています。
所属欲求と幸福の関係
ハーバード成人発達研究所で75年以上、724名の男性の生活を追跡した研究があります。史上最も長期にわたる調査です。その結果、人生の幸福とは良好な人間関係だと結論付けています。
家族や友人、コミュニティと親密に繋がっている人ほど幸せであり、孤独は命取りであると。
マズローの図では、ピラミッドの3段階目に位置していますが、この研究結果では、幸福のカギとなる最も重要な欲求となります。
マズローの図では、ピラミッドの3段階目に位置していますが、この研究結果では、幸福のカギとなる最も重要な欲求となります。
さらに言えば、所属欲求とは、自分は正しい場所にいる、という感覚があって初めて完全に満たされるものです。
だからアンは孤児院の仲間と生活していても、孤独だったのです。
実は、この「ここじゃない感」「自分の居場所はここじゃないという孤独」を見事に歌い上げた日本の名曲があります。
『俺ら東京さ行ぐだ』という吉幾三さんの歌です。
オラ、こんな村イヤだ
オラ、こんな村イヤだ
東京さ出るだ
東京さ出だなら銭コア貯めで
東京でべこ(牛)買うだ
私はこの曲を聴くと、魂の叫びみたいなものを感じます。
私もこの歌に負けず劣らずのド田舎、しかも離島に住んでいたことがあるので、気持ちがよく分かるのです。
島には信号機がなく、若い女性はまったく見たことがない。コンビニとは何者だ?状態。
私はここにいるべきではない。正しい場所ではない。常にそう感じていました。あるのは孤独感だけ。
恐らく誰でも経験があるのではないでしょうか。この場所では、自分を生かし切れていないと感じることが。
東京に行けば、銀座に山買って、一旗揚げられるのに、と。
自分の居場所を発見したときの喜びは、表現のしようがありません。都会がそれを与えてくれるという意味ではありません。
自分にとって、正しいと感じる場所に身を置くことで得られる、幸福感です。
アンはプリンスエドワード島を訪れ、すっかりこの土地に魅了されました。よろこびの白い道や、きらめきの湖、恋人たちの小径、雪の女王さまなど。
グリーン・ゲイブルズに住めると決まった時の喜びは、他のどの場面よりも強烈に描かれています。
さらには、ダイアナという親友にも恵まれました。のちの夫、ギルバートも。
ここが私のいるべき場所だと確信したのでしょう。これこそが、彼女の物語なのです。
著者のモンゴメリ自身、寂しい幼少期を過ごしたと言われています。アンの物語の中に、自分の幼少期を重ねて描こうとしたのかもしれません。
グリーン・ゲイブルズのアンというタイトルは、アンが孤独から解放され、自分の居場所をついに発見したことを、これ以上なく的確に表現しているのです。
とはいえ、赤毛のアンという印象的なタイトルがあったからこそ、日本でここまで愛されたのも事実です。
とはいえ、赤毛のアンという印象的なタイトルがあったからこそ、日本でここまで愛されたのも事実です。
次に赤毛のアンを目にする機会があったら、ぜひ「自分の居場所を見つけた少女の物語」として、違った見方を楽しんでみてください。


