赤毛のアンと所属欲求

2020年6月12日

映画 /ドラマ

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名著「赤毛のアン」。この邦題に私は疑問があります。今更って話ですが聞いてください。赤毛のアンの原題は、グリーン・ゲイブルズのアンです。


赤毛のアンという邦題は、短くて覚えやすいし響きもいい。どこかインパクトもある。いいちゃいいのです。

しかし著者のモンゴメリさんは、グリーン・ゲイブルズのアンというタイトルに、強い思い入れがあったのではないでしょうか。

なぜならこのタイトルは、アンの最も深い欲求であった所属欲求を表現しているからです。


アンと所属欲求
男の子が欲しかったカスバート家のもとに、孤児院から手違いでアンが訪れます。マリラから間違いだと聞かされ、大泣きするアン。


しかし紆余曲折あって、最終的にはアンを引き取る決断をします。マリラがそのことを伝えた瞬間が、アンの人生の最高潮です。

タイトルを付けたであろう場面を原作で調べると、こう書かれていました。

アンはおどるような足どりで、小さな鏡の前まで行ってのぞきこんだ。するとそばかすだらけのとがった顔と、まじめくさった灰色の目がアンを見返した。 

「あなたはただのグリーン・ゲイブルズのアンよ」。彼女は真顔で言った。


この一言に、著者モンゴメリさんの思いが込められているような気がします。心理学者マズローが言うところの、所属欲求が満たされた瞬間だからです。

所属欲求とは、何らかの社会集団に所属したい、一員となりたいという欲求です。グリーン・ゲイブルズのアンという表現は、孤児から家族の一員となったという意味です。


所属欲求と幸福の関係
ハーバード成人発達研究所で75年以上、724名の男性の生活を追跡した研究があります。史上最も長期にわたる調査です。

その結果、人生の幸福とは良好な人間関係だと結論付けています。家族や友人、コミュニティと親密に繋がっている人ほど幸せであり、孤独は命取りであると。

マズローの図では、ピラミッドの3段目に位置していますが、この研究結果では、幸福のカギとなる最も重要な欲求となります。

さらに言えば、所属欲求とは、自分は正しい場所にいる、という感覚があって初めて完全に満たされるものです。

だからアンは孤児院の仲間と生活していても、孤独だったのです。

「俺ら東京さ行ぐだ」という吉幾三さんの歌は、まさにその孤独を表現しています。

オラ、こんな村イヤだ
オラ、こんな村イヤだ

東京さ出るだ

東京さ出だなら銭コア貯めで
東京でべこ(牛)買うだ


私はこの曲を聴くと、魂の叫びみたいなものを感じます。

私もこの歌に負けずとも劣らないド田舎、しかも離島に住んでいたことがあるので、気持ちがよく分かるのです。

島には信号機がなく、若い女性はまったく見たことがない。コンビニとは何者だ?状態。

私はここにいるべきではない。正しい場所ではない。常にそう感じていました。あるのは孤独感だけ。

恐らく誰でも経験があるのではないでしょうか。この場所では、自分を生かし切れていないと感じる事が。

東京に行けば、銀座に山買って、一旗揚げられるのに、と。

自分の居場所を発見したときの喜びは、表現のしようがありません。都会がそれを与えてくれるいう意味ではありません。

自分にとって、正しいと感じる場所に身を置くことで得られる、幸福感です。

これこそ、アンの物語です。

アンはプリンスエドワード島を訪れ、すっかりこの土地に魅了されました。よろこびの白い道や、きらめきの湖、恋人たちの小径、雪の女王さまなど。

ここが私のいるべき場所だと思ったのでしょう。グリーン・ゲイブルズに住めると決まった時の喜びは、他のどの場面よりも強烈に描かれています。

さらには、ダイアナという親友にも恵まれました。のちの夫、ギルバートも。

著者のモンゴメリさん自身、寂しい幼少期を過ごしたと聞きます。恐らくアンと重なるところがあったのではないでしょうか。

グリーン・ゲイブルズのアンというタイトルは、アンが孤独から解放され、自分の居場所をついに発見したことを、的確に表現しています。

とはいえ、邦題と説教はなるべく短いほうが良い。まあ、赤毛のアンでもいいかって感じですが、皆さんは、どうお考えでしょうか?

コメントお待ちしています!(書くとこないけど)

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