OSHOの代表な瞑想法といえば、ダイナミック瞑想とクンダリーニ瞑想。
アクティブ瞑想とも呼ばれています。
私もこの2つは相当やりました。合わせて千回以上は実施したと思います。その効果は実証ずみ。
あるリトリートに参加した時の話。クンダリーニ瞑想を1度もやったことのない女性がいました。瞑想の経験自体、あまり無さそう。
やり方の説明を受けているところを見て、私は内心こう思いました。
ふんっ。初心者めが!
ところが彼女がクンダリーニ瞑想をしていたとき、ワンネス体験をしたというのです。
ワンネスとは自分と他者、世界との分離がなくなり、すべてがひとつになるという神秘的な境地です。
瞑想歴20年以上の私ですら、ワンネス体験はそれほど多くはありません。と言いますか、ホントは1度もありません。
これが圧倒的な才能の差ってやつでしょうか?ジェラシーです。
カタルシスの重要性
クンダリーニ瞑想の第1ステージは、感情の解放です。私の経験から言いますと、抑圧された感情は肉体の中に蓄積されています。
例えば、嫌な上司に理不尽に叱られたとします。腹は立ちますが、上司に怒りをぶつけられません。クビになりますので。
そんな場合、怒りのエネルギーはどこへ行くのでしょうか?出てきた場所へ戻る訳ではありません。
細胞内に潜り込み、肉体の中に蓄積されます。怒りは消えたように見えても、エネルギーは体内のどこかに残っているのです。ときには何十年も。
それはちょうど、家の暗い地下室にゴミを捨てるようなものです。住人には見えなくとも、ゴミはそこにあります。
潜在意識下に抑圧された感情は、出てくる機会を常にうかがっています。表現することで、心の重荷を下ろせるからです。
上司に怒れないので部下に八つ当たりする、という方法もありますが、それだと傍迷惑です。瞑想的方法で発散させた方が良い。
私が感情を抑圧していると分かったのは、リトリートで初めてジベリッシュ瞑想をやった時です。
ジベリッシュとは、無意味な言葉をただしゃべるだけの瞑想法です。
なんの予備知識もなくやったので、驚きました。自分でも気づかぬうちに、腹の底から絶叫していたのです。
原爆のキノコ雲のビジョンが脳裏に浮かんだのを覚えています。感情の爆発です。自分がこんなにストレスを溜めているとは思ってもいませんでした。

しかしこれは、私に限ったことではありません。多くの人は自覚がないだけで、想像以上に多くの感情を抑圧しているのです。
出てくる感情がいつ抑圧されたものなのか、3年前なのか30年前のか、さっぱり分かりません。分かる必要もありません。
私はとても不思議でした。なぜデタラメな言葉を発するだけで、感情が内側から湧き出てくるのかと。
その疑問を、OSHOの弟のサイレンドラさんに質問してみたことがあります。
サイレンドラさん曰く、言葉というものは音なのだそうです。ジベリッシュとは意味のない音。
音にはそれに対応する感情あります。例えば赤ちゃんは、音で感情を表現します。バァ~とかマ~とか。
怒っているときと嬉しいとき、それぞれ音が違います。
ジベリッシュで混沌とした音を発することで、肉体と感情も混沌とし、抑圧された感情が出てくるそうです。
ダイナミック瞑想の第1ステージで行われる、混沌とした呼吸と似ています。呼吸を通して、型にはまったパターンをぶち壊すのです。
そのとき初めて、自分の中の狂気を表現することが可能になってきます。
体を揺らす目的とは
しかし、家の中で大声を出すのは難しい。そんな人にお勧めのなのが、クンダリーニ瞑想です。
クンダリーニ瞑想の第1ステージは、体を震わすことから始めます。それが抑圧された感情を解放します。それはなぜでしょうか?
緊張や恐怖を感じるとき、人間も動物も震えます。過剰なエネルギーを放出する際に震えが生じるのです。
昔テレビで、ライオンに襲われて逃げ切ったシカの映像を見たことがあります。シカは全身を震わすことで緊張を解放していました。

まさに肉体に備わった自然の知恵です。動物が生命の危機に陥ってもトラウマにならないのは、震えるからだという人もいるくらいです。
しかし人間社会では、震えることは弱者と思われるため、恥ずかしいという心理が働きます。緊張を解放する機会を逃してしまうのです。
ですが遅くはありません。今、震えればいいのです。なぜなら、解放されなかったエネルギーは、まだ体内に残ったままだからです。
私が初めてクンダリーニ瞑想をやったとき、とてつもない解放を感じました。滞っていた感情が洗い流される感じです。
さらにもうひとつ、震えることには利点があります。
氷の入った飲み物を揺すると、氷は溶けていきます。摩擦で熱が発生するからです。体を揺らすのも、それと同じ。
個体が液体となるように、凝り固まった感情が肉体の中へと溶けだし、流動的になってきます。そうして感情が流れて行きます。
と同時に熱が発生し、たくさんのエネルギーが目覚めるので、第2ステージでは踊りを通して表現させます。
クンダリーニ瞑想には、野口整体の活元運動と共通する点が多いと感じます。体自身が持つ、回復しようとする動きに身を委ねる、という点で。
あくびやため息なども、自然治癒的な動作でしょう。
第2ステージまでを行い、心身ともに洗い流されたところで、ようやく静かに座る準備が整います。
OSHOの考案した技法はすべて、段階的に進行していくところが面白い。車のギアチェンジみたいな感じです。自然と瞑想に入れるようにプログラムされています。
何よりも発散浄化系の瞑想は、肉体を解き放つ喜びが感じられます。そこが1番の醍醐味。
まだ実践したことがないという方は、遊び感覚で挑戦してみてはいかがでしょうか?新たな発見があるかもしれませんよ。