マーヤ解き実践編

2023年11月24日

岩城和平先生

t f B! P L

私がマーヤ解きをするときに、紙に文字にして書くことがあります。頭の中の思考を形にしてみるのも、意外と有効な手段です。



そこで今回は、ブログを書きながらマーヤを解いてみようと思います。現在進行形マーヤ解き。人類初の試みです。


きっとあなたも、このブログを読みながら、私のマーヤが解けていくさまを目撃することでしょう。(大きく出ました!)


解くテーマは、ここ数年で最大の悩み。同居している父のアルツハイマー型認知症について。


まだ認知症の初期ですが、今後症状が進行したときを考えると不安です。介護するのが面倒くさい。


私の祖母もアルツハイマーだったので、大変なのがよく分かるのです。


よく映画で、アルツハイマーの人物を描いた作品がありますが、正直甘い。現実はそんな生易しいもんじゃない!


もうひとつマーヤなのが、母親との死の別れ。(まだ健在ですが。)


私の母も79歳。あと何年一緒にいられるかと考えただけでマーヤです。私は母が大好きなので、別れを思うと、とても寂しい。


さらに言えば、今はまだ母が父の面倒を見ていますが、仮に母が先に亡くなった場合。父をどうするか。将来に不安しかありません。



ブログとマーヤ説きの類似点

私がブログを書くとき、テーマ以外は何を書くか全く考えていません。書きながら考えを、どんどん深堀りさせていく感じです。


ひとつの記事を書くのも、休み休みで時間がかかります。しかし、それが逆に良い場合もあります。


昔、詰将棋の問題を解いていた時の話。答えが分からず、しばらく放置していました。将棋を忘れ友人と電話をしていたときに、ふと答えが閃いきました。


ひとたび自分自身に問いを投げかけると、あとは放っておいても、無意識レベルでずっと答えを探し続けるのです。人間の脳は「分からない」を嫌うからです。


また、考えが同じところをループして進展がないと感じる時もあります。しかし確実に前進はしています。まるで螺旋階段を登るかのように。


恐らくこの記事を終わる頃には、マーヤ解きも完了していることでしょう。根拠ないけど。



将来の不安と信仰

将来の不安と聞いて、最初に思い浮かぶのが、聖書にあるキリストの言葉です。(マタイ福音書6章より)


『あなたがたに言うが、栄華を極めたソロモンでさえ、この花のひとつほどにも着飾っていなかった。


今日は生えていて、明日は炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上、良くして下さらないはずがあろうか。


ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかといって思い煩うな。


あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要なことをご存じである。


だから、明日のことで思い煩うな。明日のことは、明日自らが思い煩うであろう。1日の苦労は、その日1日だけで十分である。』


結論:私は信仰が薄い。


問題は、どうしたら信仰を深めることが出来るのか?です。それが、岩城和平先生の勉強会に参加する理由のひとつです。


覚者の言葉からは、理屈抜きに伝わるものがあります。


さらに別な理由として、神を実現した覚者と一緒にいると、私の世界の神もリアライズされるという目的もあります。


神は遍在するとしても、認識されなければ、顕(あらわ)になりません。


神を愛する人には恩寵が訪れやすいと聞きますが、神がえこひいきしているわけではなく、神により近づくからだと思うのです。


もし完全に神と一体化したならば、そこには恩寵しかありません。


だからこそ、キリストのこのメッセージには、重要なワンポイント・アドバイスが付け加えられているのでしょう。すなわち


『まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう』


神を人生の第一優先とせよ、ということです。そのような生き方をしている人には、より多くの援助と導きがあるはずです。


結局のところ、将来の不安に対する唯一の解毒剤は、神の存在と御心を信じる以外にないというのが私の結論です。


自分ひとりの力で生きていると思うと、無力感が生じます。絶対的に頼れるものが何もないからです。


人生に何の目的も理由もなく、偶然の連続だとすれば、不運な出来事は不運のまま終わります。


和平先生の説くマザーの道は、この人生が修行の舞台です。父がアルツハイマーなのも、何か目的あってのこと。


一見、不運に思える出来事を、肯定的なものに変える錬金術。それがマーヤ解きとみこころ解きです。


もしかすると、今起こっている現象は、その努力をさせるためにマザーが仕込んだエサかもしれません。釣られたら上がりみたいな。


日々祈り、神に瞑想をし、マーヤ解きとみこここ解きを行い、和平先生の勉強会に参加する。私を求めよ!と神が言っている気がします。



後悔のない生き方と親孝行

聞いた話ですが、「死ぬ時はガンで死にたい」と考える医者が多いそうです。理由は死期が分かるから。旅立つ準備ができます。


それを聞いて、映画「最高の人生の見つけ方」を思い出しました。



余命半年と宣告された二人が、やり残したことを実現させるという物語。原題はバケットリスト。棺桶リストとも呼ぶそうです。


この映画ではスカイダイビングに挑戦したり、ピラミッドを見に行ったりしていました。


もちろん、色々な体験をするのは大切です。しかし本当に大切なのは「何をしたか?」ではなく「今を生きたか?」だと私は思うのです。


スカイダイビングをするのも、生きている実感が欲しいから。


刺激的な体験は、今この瞬間へと強制的に投げ込まれます。そこで得られる喜びは、体験ゆえか”今”ゆえか?卵が先か、ニワトリが先か?


映画に登場する二人は、忙しい毎日を、ただ機械的に繰り返していました。これは全人類に共通する問題だと思います。


20世紀を代表する神秘主義者、ゲオルギー・グルジェフは、人間はみな、夢遊病者だと語っています。あらゆる行為に無意識だと。


サタンだけどね。


もし日常生活の中に、ほんの少しの注意深さと自覚を持ち込めば、行為の質が劇的に変化すると思うのです。それは親孝行にしても同じ。


何か特別なことをしてあげるより、両親と過ごすその時間、その瞬間を大切にしたいと思っています。


ありきたりの会話の中にあっても、私がそこにトータルに存在すれば、その質が変わるはずです。


今より少しばかり注意深く話に耳を傾けたり、笑わせたり。些細なことですが、結果的には愛することに繋がると私は考えます。


なぜ今になって親孝行を考えるのか?それは残された時間が少ないからです。


死は悪いものではありませんが、悲しみは避けられません。であるならば、後悔だけはしたくありません。



解かないマーヤ

私は、必要なマーヤもあると思っています。特に今回のようなケースの場合。


時々マーヤになることで、自分が両親に対して愛情深く接しているかを再認識させる、良いきっかけになります。


私はそれを、敢えて解かないマーヤ、と呼んでいます。



マーヤ解き結果発表

と、ここまで書いてきて今回のマーヤは、ほぼ良い感じに解けました。書けていないことのほうが多いのですが、色々な気づきがありましたよ。


恐らく読んでる人には、まったく伝わっていないことでしょう。ブログの限界!


余談ですが、今回のように分かりやすいマーヤは下っぱです。強敵は自覚しにくいマーヤ。それを攻略できれば、私もプロマーヤーの仲間入りです。



鉱物であった私は死に、植物となった。

そして植物になった私は死に、動物となった。

動物となった私は死に、人間となった。


次に死ぬとき、

この私は、翼と羽根を持った天使となるだろう。


そうであるなら、どうして、

死による消滅を、恐れなければならないのだろうか?


そのあとは、天使よりももっと高く

舞い上がって、

誰も想像ができないようなものに

私はなるだろうに。


ジャラール・ウッディーン・ルーミー

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