岩城和平先生の講話 お題「神の愛」

2023年6月6日

岩城和平先生

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最近、岩城和平先生の音声講話を聞いています。たまに勉強会にも参加中。


和平先生の勉強会の本質は、話の内容云々よりも、その場のエネルギーを感じることの方が重要なのだそうです。


例えるならば、ラマナ・マハルシでいうところの沈黙の教えみたいな感じでしょうか?


ただ勉強会での内容も、かなり濃厚な話をされているので、一部抜粋して紹介します。文字起こしすることで、私の理解もさらに深まるかもしれません。



2017年1月17日の講話より

和平先生 神様は本質的には、「私を愛しなさい」ということを我々に教えているんだけども、その一環として、我々は人を愛する。


大きな愛と小さな愛があって、小さな愛は愛じゃないって考えもあるけど、そんなことないわけよ。


小さな愛によって愛し方を学ぶわけ。もし小さな愛を否定しちゃったらね、愛し方が分かんないまんまだよ。


愛し方が分からない人間が、神様のことを愛せるはずがない。人を愛せる人が神を愛せる人なの。だからまず、人を愛することなの。どんな愛でもいいの。



今日、ここに来る時にね、キューバのボレロを聴きながらきたの。もう、めちゃくちゃ良いんだよ、これが。男女の愛を歌ってるんだけどさ。


ある種、キューバ人って凄いなって思うとこがあって、人を愛することは神に通じるって、彼らは思ってるんだよね。


昔さ、ミポリンがキューバ紀行するって番組があったの。



音楽の旅だから、キューバの歌姫、ポルトゥオンドにインタビューする機会があってね。



もうお婆ちゃんなんだよ。そのお婆ちゃんが突然、彼女の手を取るの。ミポリンが失恋してたんだろうね。それを霊能力者みたいに察知したの。


手を握って声を掛けたら、彼女がワーっと泣き出しちゃって。あそこには、もの凄い愛のエネルギーがあったの。


「私は100人以上の男と愛し合ってきた。その愛っていうのが人生なんだよ。愛のない人生は無に等しい」って語るわけ。


別に神様の話をしないんだけどさ、分かってるわけ。彼女のことも何もかも。


どっかの南の島のシャーマンにでも会ってるみたいな場面なの。これは凄いなぁと思って。こういう画はなかなか見れないなと。


彼女の修業は、100人の男と付き合うことだったの。100人の男と付き合うってことは、100人の男と別れがあったわけだから。


その当時、まだ進行形だった。(笑)


悲喜こもごもしたものを彼女の人生の中で昇華していって、愛によってすべてが見えるという境地に到達しているのよ。


それがさ、インドのマスターですって、呼吸法を教えてる場面だったら、超ショボイと思うよ。俺からすれば。


そういうことじゃないんだよな、みたいなさ。


だって神様が与えてくれてるわけじゃん、この現実を。環境を。人との繋がりを。ここの中で愛していくっていうことが神なんだよ。


ただ、そこに神の認識がないと当然のことながら神にならない。


恋人や旦那、嫁や子供を愛してますと。ほとんどの人がそういう人生を送るよね。


でもそれが、神の現れなんだっていう認識の仕方を皆してない。認識しなければ無いと同じなの。


この人生が、神の愛の現れだって見ることができれば、神の愛しかない。その認識をもって日常を経験していくと、神と一心同体になってくるから。


動物だっていいの。その愛する気持ちをそのまま神様に向ければいいの。


例えば、誰かと話をしてたとする。大笑いしてね。その時、ふと俺が通って声掛けたら、そのまま笑顔で振り返るでしょ?


そのまんまいくでしょ。急に真面目な顔になるかい?ならないじゃん。


テレビ見てて大笑いしてたら、「神様、楽しいよ!」って言えばいいわけ。満面の笑みを神様に向けるわけ。


なんか良いことがあったら、全部神様に報告するの。その気持ちで。その状態を与えてくれてるのは神様なんだから。


そしたら、これが神様の状態なんだな、ってことが分かってくるから。よく分かるよ、これから。


状態なの。俺がハッピーなのが神様の状態なの。逆に悲しかったらそれが神様の状態なの。


俺の状態じゃないの。神様の状態なの。全部、神様がやってんの。


とにかく神様が日常にならないといけないから、神様を想うこと。幸せでも悲しくても全部、神様に報告する。傍らに常に神様がいるように話し掛ければいい。


コツはね。右側あたり。そこに向かって話しかける。


俺が最初に経験したとき、そこに立ってたから。ここじゃないよ。ず~っとそこに立ってたんだってことが分かった。いついかなる時も。


それが初日の経験。次の日になったら、そこに立ってた人が、ここになってた。ここにいるじゃん。


それで完璧。ブラフマンとアートマン。同じもの。常に自分と共にそれはあったんだって認識された。それが最初の経験だよね。


(抜粋終わり)



映画「アマデウス」に習う

以前、ある覚者が言っていた話ですが、瞑想は朝夜の1時間だけすれば良いというものではなく、日常が瞑想になれなければいけない、とのことでした。


神様を想起するのも同じかもしれません。朝晩、お祈りを捧げるだけでも良いのですが、日常が神と共にあればもっと良い。


しかし、ここで重要なことは、修行のように行わないこと。集中するのではなく、漫然と覚えておくこと。


和平先生はそれを、神を意図する、と表現しています。活動的な生活の送りながらも、なんとなく覚えている感じでしょうか。恋に似ているかもしれません。


映画「アマデウス」のワンシーンを思い出します。




モーツァルトに嫉妬心を抱くサリエリ。いちいち神様に状況報告するシーンがありました。これが正しい神との関係なのかも?


ただ、感謝もしてないのに、感謝の祈りをする必要もありません。今のその感情をそのまま神に報告すればいい。


嫉妬心もまた、神様の計らいだからです。すべては神の現れってところでしょうかね。


それでは、今日はこの辺で。皆さま、良いみこころライフを。


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