単に私の個人的見解ですが、岩城和平先生はインドの覚者OSHOを、さほど評価していない気がします。(違ってたらゴメンなさい。)
講和の中でOSHOを「サタンっぽい」と語っておりました。
”サタン”という言葉は、和平先生が使う独特の言い回しのひとつで、キリスト教などでいう悪魔とは違います。悪とも言えないので”魔”と表現したりもします。
サタンは特別なものではなく、日常のどこにでも潜むもの。目覚めを妨害する力でありながら認識を狂わせるマーヤとも、ちょっと違う。
マーヤがあると神は失われますが、サタンに入られても神は失われないそうです。だから気が付かない。
映画「マトリックス」に登場するエージェント・スミスが、最もサタンに近く描かれているそうです。
すなわち、宇宙を維持するための神のプログラムです。
サタンについて詳細に語っているマスターは、私が知る限り和平先生しかおりません。宇宙の創造主マザーから直接伝授された教えです。
サタンの働きや目的については先生の著書、「母の力」で詳しく述べられているので、ここでは割愛します(って本当は私もよく分かっていない。)
目覚めたあとでも、この世界で生きていく限り、サタンの影響は避けられません。問題は、どうサタンと付き合っていくか?
和平先生の言葉を借りるならば、茶飲み友達の関係がよろしいそうです。飲み友達だとガッツリ乗っ取られます。
適度な距離感が大切ですが、サタンを知らなければヤラれるのみ。
そんなサタンに、OSHOも乗っ取られていたのでしょうか?あるいはサタンを熟知しつつ、人々を間違った方向に導く役を演じていたのでしょうか?
この辺りは和平先生も明言していないので分かりません。ただ歴史上、そういったグルがいたことは事実。グルジェフなど。(グルだけに…)
私はOSHOのサニヤシン(弟子)ではありませんが、OSHOの考案した瞑想法を熱心に取り組んだ時期がありますので、気になるところではあります。
昔、OSHOのお弟子さんが、ポーランドの覚者、アジズ・クリストフ(現アナディ)を日本に紹介したことがありました。
和平先生の教えがマザーなら、アジズの教えはシヴァです。二人ともミレニアムという時代の転換期に、新しい啓示を受けたという共通点があります。
彼のOSHOに対する評価が面白いので、ここで紹介したいと思います。
OSHOの実験は失敗だったのか?
質問者 OSHOの実験は全部失敗したのでしょうか?
アジズ 全くそんなことはありません。実際のところ、非常に成功しました。え~と…(長い沈黙)
でも何が成功したのかちょっと覚えていませんね。しかし、成功しているというフィーリングはあります。(爆笑)
OSHOの教えの中で、たぶん最も重要な特徴のひとつ、肯定的な要素のひとつは、スピリチュアリティがより全一なヴィジョンを持っているということです。
彼自身のやり方で、人間としての全一性を指摘しようとしていました。
だからこそ、サイコセラピーやセクシュアリティやセレブレーションなど、インド伝統に完全に反する多くの要素について語ったのです。
ですから彼は、インド社会では非常に憎まれました。実際、多くのインドのマスター達は彼が悪魔だと考えました。
彼は非常に知性的で、シンプルに人間の実存のたくさんの部分に触れました。彼は多くの人はまだ、目覚めるための準備が出来ていないことに気づきました。
何百人、何千人もの人が彼のもとにやってきましたが、彼らを見て、どうして彼らが目覚めることが出来るだろうかと思ったのです。
彼らの中の半分の人は薬物中毒でした。OSHOは何とかして彼らを助けることにしたのです。悟りが彼らを助けたのではないのです。
一般的な気づきの成長は助けになります。セラピーや解放すること、そしてほんのちょっと瞑想すること。
人生に対するより肯定的なヴィジョン。抑圧や罪悪感を超えること。だからこそ、彼は多くの人を助けることが出来たのです。
悟りを教えることは、必ずしも最も高い助けではないのです。
宇宙的な知性の観点からすると、助けるということは人を悟らせるかどうかで計れるものではないのです。
それを受け取る人の限界の中でただ助けることなのです。だから、私たちはよくOSHOはアドヴァイタを超えたというのです。
サットサングをしている多くの元サニヤシン達がいます。彼らの中には、アドヴァイタが最も高い教えなのに、OSHOはそれを教えなかったと怒っている人たちがいます。
OSHOは物事を複雑にし過ぎたと言っています。しかし真実は全く逆なのです。シンプルに、彼はもっとダイナミックな目覚めの教えを説いたのです。
しかし、それには副作用というモノがありました。あまりにもたくさんの人に対処しすぎたことで、それが破局をもたらしたのです。
それが起こったことです。
OSHO秘話
アジズによると、OSHOは弟子たちには秘密にしていましたが、タントラ寺院で7年間修行をし、クンダリニーの目覚めによって悟ったそうです。
また、OSHOの弟のサイレンドラによれば、その7年後の28歳でハートの悟りを開いたそうです。
ハートの悟りとはなんぞや?って感じで、OSHOのどの本にも書かれていません。覚者の中でも、最も評価の分かれる謎の多い存在、それがOSHOですね。