OSHOは悪魔だったのか?

2023年10月22日

岩城和平先生は、インドの覚者OSHOを「サタンっぽい」と語っていました。興味深い一言です。

OSHOは本当にサタン的な存在だったのでしょうか。それとも、サタンを理解したうえで、あえて関わっていたのでしょうか。

”サタン”という言葉は、和平先生が使う独特の言い回しのひとつで、一般的にイメージされる悪魔とは違います。


悪とも言えないので”魔”と表現したりもします。


サタンは特別なものではなく、日常のどこにでも潜むもの。欲望や感情を刺激し、神から意識をそらす働きがあります。


目覚めを妨害する力でありながら、真実を覆うマーヤとも、ちょっと違う。


マーヤがあると神は失われますが、サタンに入られても神は失われないそうです。だから覚者であっても気が付かない。


映画『マトリックス』に登場するエージェント・スミスが、最もサタンに近いイメージかもしれません。


彼はシステムを維持するための守護者(エージェント)であり、異分子を検知し、排除しようと働きます。


すなわち、世界を維持するための神のプログラムのようなものです。


サタンについて詳細に語っているマスターは、私が知る限り和平先生しかおりません。


宇宙の創造主(マザー)から直接伝授されたとされる教えです。


サタンの働きや目的については先生の著書、『母の力』で詳しく述べられているので、ここでは割愛します。


目覚めたあとでも、この現象世界で生きていく限り、サタンの影響は避けられません。問題は、どうサタンと付き合っていくか?


和平先生の言葉を借りるならば、茶飲み友達の関係がよろしいそうです。飲み友達だとガッツリ乗っ取られます。


適度な距離感が大切ですが、サタンを知らなければヤラれるのみ。


そんなサタンに、OSHOも乗っ取られていたのでしょうか?あるいはサタンを熟知しつつ、お付き合いされていたのでしょうか?


この辺りは和平先生も明言していないので分かりません。


私はOSHOのサニヤシン(弟子)ではありませんが、彼の考案した瞑想法を熱心に取り組んだ時期があるので、気になるところではあります。



アジズ・クリストフの評価

昔、OSHOのお弟子さんが、ポーランドの覚者、アジズ・クリストフ(現アナディ)を日本に紹介したことがありました。


和平先生の教えがマザーなら、アジズの教えはシヴァです。母性と父性、あるいは愛と意識の象徴として捉えることもできるかもしれません。


二人ともミレニアムという時代の転換期に、新しい啓示を受けたという共通点があります。


彼のOSHOに対する評価が面白いので、ここで紹介したいと思います。



質問者

OSHOの実験は全部失敗したのでしょうか?


アジズ

全くそんなことはありません。実際のところ、非常に成功しました。え~と…(長い沈黙)


でも何が成功したのかちょっと覚えていませんね。しかし、成功しているというフィーリングはあります。(爆笑)


OSHOの教えの中で、たぶん最も重要な特徴のひとつ、肯定的な要素のひとつは、スピリチュアリティがより全一なヴィジョンを持っているということです。


彼自身のやり方で、人間としての全一性を指摘しようとしていました。


だからこそ、サイコセラピーやセクシュアリティやセレブレーションなど、インド伝統に完全に反する多くの要素について語ったのです。


ですから彼は、インド社会では非常に憎まれました。実際、多くのインドのマスター達は彼が悪魔だと考えました。


彼は非常に知性的で、人間の実存のたくさんの部分に触れました。彼は多くの人はまだ、目覚めるための準備が出来ていないことに気づきました。


何百人、何千人もの人が彼のもとにやってきましたが、彼らを見て、どうして彼らが目覚めることが出来るだろうかと思ったのです。


彼らの中の半分の人は薬物中毒でした。OSHOは何とかして彼らを助けることにしたのです。


悟りが彼らを助けたのではないのです。


一般的な気づきの成長は助けになります。セラピーや解放すること、そしてほんのちょっと瞑想すること。


人生に対するより肯定的なヴィジョン。抑圧や罪悪感を超えること。だからこそ、彼は多くの人を助けることが出来たのです。


悟りを教えることは、必ずしも最も高い助けではないのです。


宇宙的な知性の観点からすると、助けるということは人を悟らせるかどうかで計れるものではないのです。


それを受け取る人の限界の中でただ助けることなのです。だから、私たちはよくOSHOはアドヴァイタを超えたというのです。


サットサングをしている多くの元サニヤシン達がいます。


彼らの中には、アドヴァイタが最も高い教えなのに、OSHOはそれを教えなかったと怒っている人たちがいます。


OSHOは物事を複雑にしすぎたと言っています。しかし真実は全く逆なのです。シンプルに、彼はもっとダイナミックな目覚めの教えを説いたのです。


しかし、それには副作用というものがありました。あまりにもたくさんの人に対処しすぎたことで、それが破局をもたらしたのです。


それが起こったことです。



OSHO秘話

アジズによると、OSHOは弟子たちには秘密にしていましたが、タントラ寺院で7年間修行をし、クンダリニーの目覚めによって悟ったそうです。


また、OSHOの弟のサイレンドラによれば、その7年後にハートの悟りを開いたそうです。


ハートの悟りに関しては、OSHOのどの本にも書かれていません。悟りのマニュアル化を徹底的に避けていたのかもしれません。


伝統的な教えに照らして考えるなら、最初の目覚めが純粋意識(空)の悟り。


その後の目覚めは伝統の枠を超えた魂(個)の悟りとも言えるかもしれません。そこが異端児的。


アジズやアジャシャンティのような現代の覚者も、この伝統を超えたハートの悟りについて語っています。


ただ、和平先生の教えからすると、マーヤ的ではありますが。


覚者の中でも、最も評価の分かれる謎の多い存在、それがOSHOですね。