和平先生の声が、とても心地良い。魂に響くものがあります。それが理由で、「すべては神の御心」という思想が、私の細胞のひとつひとつにまで染み込んでいます。
私のみこころ体験
当時の私は、そこそこ高給取りの公務員でした。しかし飲酒運転をして退職しました。恥ずかしい体験談で申し訳ございません。
長年勤めた職を失うというのは大変ショックな出来事です。事実、自殺の前例もあるそうです。
仕事を退職するまでの数日間、自殺防止のために、上司にずっと行動を監視されておりました。
そんな状況下でも私は、この出来事も神の御心だよなぁ、と思っていたので、さほど落ち込みませんでした。
ただ上司の監視が厳し過ぎて、落ち込みましたが。
今は当時の給料の5分の1以下になりました。しかし父が認知症になり、母の側にいて助けることが出来るので、ほんとうに良かったと思っています。
これが神の御心だと思うと、感謝の念すら湧いてきます。
運命に対する認識の違い
和平先生によれば運命は決定しています。自由意志すらありません。人によっては受け入れがたいことかもしれません。
先日、YouTubeのライブ動画を視聴していたら、以前テレビによく出演していた、スピリチュアル・カウンセラーの江原啓之氏が出ていました。
江原氏は会話の中で「宿命は決まっているけど、運命は変えれるんだよ」とドヤ顔で発言。
これを聞いた多くの視聴者さんから、共感のコメントの嵐。
運命は選択できるという考えは、多くの人に安心感を与えてくれます。決められたレールの上を走っているだけだと思うと、無力感が生じます。
バスケットボールの神様、マイケル・ジョーダンの名言を思い出します。

「運命よ、そこをどけ。オレが通る!」
運命すらねじ伏せる強さを感じます。神様だから許される言葉です。
しかし私のように、苦難と挫折続きの人生を歩んでいる人間にとっては、出来事が偶然の連続とは思いたくない。
すべては御心という和平先生の言葉に、救われたのです。
「夜と霧」 運命と信仰
著者は、フロイトやユング、アドラーに次いで、第4の巨頭と呼ばれる偉人、ヴィクトール・フランクルさん。

ロゴセラピー(生の意味を見出すセラピー)の創始者でもあります。
フランクルさんによれば、強制収容所で生き延びた人とは、屈強な人でも、図太い人でもなく、繊細な性質の人たちだったと言います。
神に祈りを捧げる人であったり、クタクタに疲れていても、外に出て夕日を見て、心を癒す人などです。
「私はまだ、人生から何を期待できるか」ではなく「人生は私に何を期待しているか」を考えてみなさい、と教えています。
フランクルさんが、熱心なユダヤ教徒だったことを考えると、神を人生に置き換えて表現したとも推測できます。すなわち
「神は私に何を期待しているのか?」と考えることです。この発想の転換を、コペルニクス転回と呼びます。
このような視点を持つ人が、地獄のような生活の中で、より生き延びることができたとフランクルさんは言います。
そうはいっても、ここで重要になるのが神への信仰です。信仰なくして、この視点に立つことはかなり難しい。だからこそ、信仰は力なのです。
祝福しなさい、運命を。信じなさい。その意味を
ヴィクトール・フランクル
信仰のススメ
そういう私も、昔はそれほど信心深いほうでもありませんでした。神様は信じていましたが。
なぜ、これほど確固たる信仰が生まれたのかと考えると、やっぱり和平先生の講話を聴き続けたという他に理由が見つかりません。
もっとも簡単に信仰を持つ方法は、神様を知ってる人の話を聞くのが、一番手っ取り早いのです。
神を実現した師の言葉には、確かな重みがあります。
信仰を深めるためには、歴史上の偉大な覚者の本を読んだり、和平先生の講和を聞いたりすることをお勧めしたいです。
それでは、今日はこの辺で。皆さま、良いみこころライフを。