「奇跡」を操る牧師と、ただ「愛」を説く牧師。正反対の二人を通して、本当に大切なものは何かを問いかける物語です。
あらすじ
信仰の力で治療を行う伝道師、ダンフォース牧師が、ローラの住む町にやって来ます。
圧倒的なカリスマ性と巧みな話術、奇跡の力で、たちまち町の人達を魅了します。
その一方で、長年、町の人々から慕われてきたオルデン牧師の人気は、下降の一途。日曜日の礼拝にも、わずかな信者しか集まりません。
やがてダンフォース牧師は、町に定住することを決めます。町の人達の投票の結果、オルデン牧師は、この町を去ることとなります。
ビールバルの寓話
この物語を観て、ある寓話を思い出しました。
昔、ビールバルという道化師が、ムガル帝国のアクバル皇帝に仕えていました。
ビールバルは賢いことで有名でした。アクバル皇帝はよく、ビールバルの知恵を試しては喜んでいました。
ある日、アクバル皇帝は床に一本の線を引いて言いました。
ビールバルよ、この線を短くしてみよ。ただしどこも消してはならぬ。
この知恵比べは皇帝の勝ちだと、誰もが思いました。どこも消さずに線を短くすることなど、できるはずがありません。
ところがです。皇帝も周りの人々も、皇帝の負けを認めることになりました。ビールバルはどうしたのか?
彼はこれよりも長い線を、横に一本引いたのです。
比較の落とし穴
この寓話は、比較による変化を意味します。
最初の線はもともと同じ長さです。しかし、その横に長い線を引くと、相対的にもとの線は短くなります。
優秀な人物であっても、より優秀な人と比較すれば、劣って見えます。これがいわゆる、ライバルの出現です。
もし自分を、より優れた人と比較したならば、そこには必ず惨めさがあります。
ならば、自分らしさで勝負する以外にありません。
誰にでもその人だけの、ユニークな持ち味があるはずです。それが個人の特権であり、生の豊かさです。
オルデン牧師の自分らしさ
ダンフォース牧師のイカサマが明らかになり、オルデン牧師も町へと帰ってきます。
物語の最後、オルデン牧師は教会で、こう言います。
神学校にいた頃も、その後も、
神を雄弁に語ることが夢でした。
大聖堂で、大群衆の前で。
でも私には、分不相応でした。
神の私に対する欲求は、別なところにありました。
あの時、雄弁な彼に教会を乗っ取られ、
傷つきました。嫉妬もした。
私が夢見た方法で、
信者を魅了する人でしたから。
この教会に戻れることになった時も、
こう思っていました。
今こそ、雄弁家になるのだと。
皆さんが望み、必要とし、
愛する牧師になろうと。
そして悟りました。
牧師の務めは、
人気者になることではない。
神を愛することだと。
聖書の格言
聖書にはこうあります。
たとえ、予言する賜物を持ち、
あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、
たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、
愛がなければ、無に等しい。
(コリントの使徒の手紙-13:2)
信仰の力で、奇跡を行うダンフォース牧師に比べれば、愛を説くオルデン牧師の説教は地味で退屈かもしれません。
人は、神秘的なパワーに魅かれるものです。それでも、こう言わざるをえません。
愛より偉大なものは、何もないと。

