
功績ある者は必ず賞し、罪ある者は必ず罰するという意味です。しかし、そのやり方が本当に正しいのでしょうか?
ここでは、信賞必罰という教育観の落とし穴について考えます。
あらすじ
インガルス家の父、チャールズが留守の間の出来事。
今年も奨学賞を決める試験が行われます。最優秀の生徒には、豪華な辞書が与えられるというもの。

これを聞いて目を輝かせるメアリー。すぐに猛勉強を始めます。しかし、歴史の本がないため、ビードル先生から借りることにします。
メアリーは夜遅くまで勉強しますが、明かりが眩しいとローラに言われ、納屋へ行きます。本を読むうちに、つい居眠り。ランプを倒してしまい、納屋が火事になります。

母キャロラインとローラに助けを求め、なんとか全焼は免れました。しかしキャロラインは激昂。怒鳴り散らしてメアリーを叱ります。
翌日になって冷静になるキャロライン。厳しく言い過ぎたことを後悔し、オルデン牧師に相談します。
罰は厳し過ぎではないのかと質問するのに対して、牧師はこう答えます。

「ここで罰を取り消したら、見逃してもらえると甘えてしまう。家庭教育の基本は、信賞必罰です。これが崩れると、子供は道徳観念を失ってしまう」
これを聞き、キャロラインも納得します。
信賞必罰は必要か
信賞必罰が必要かどうかは状況次第です。社会や組織ならば、それが有効な場合もあるでしょう。
しかし、メアリーの場合はどうでしょうか。火事というショック体験をしています。もしかすると、心に深い傷を残すかもしれません。
私も過去に家で火事を起こしそうになったことがあります。消火器があったので助かりましたが、あれにはビビリました。忘れられない体験のひとつです。
メアリーはこの怖い体験を通して、すでに十分な罰を受けました。彼女は賢い女の子です。失敗を通して深く反省し、学んだことでしょう。
そのうえさらに罰を与えるのは、あまり意味があるとは思えません。それならば、罪を償わせる目的を与えた方が、はるかに建設的です。
メアリーは、ビードル先生から借りていた本を、火事で燃やしてしまいました。そのため自主的に働いて弁償します。
これこそ過ちを犯したメアリーにとって、正しい責任の取り方です。
メアリーは、ビードル先生から借りていた本を、火事で燃やしてしまいました。そのため自主的に働いて弁償します。
これこそ過ちを犯したメアリーにとって、正しい責任の取り方です。
アンダーマイニング効果と信賞必罰
報酬をもらうことで、やる気がなくなる現象を、アンダーマイニング効果といいます。
たとえば、子どもが勉強すれば「100円」と言われると、お金がもらえないと勉強しなくなることがあります。
このようにモチベーションが外から与えられる場合、自発性が失われる可能性があります。
自発性とは、内側から湧いてくるものです。好奇心や趣味などです。しかし、楽しくて行っていたことが、いつしか報酬をもらわないとやる気が出ない。
報酬が目的に変わるからです。これは罰についても同じです。罰を受けないために行動する。
逆に考えれば、罰さえ受けなければ、悪いことでもしてよいということです。それこそ本当の意味での、道徳観念が失われます。
道徳や良心もまた、内側から起こるものだからです。このような観点からも信賞必罰は慎重に行う必要があります。
ドラマの最後
メアリーはひとり、罰のことで苦悩していました。すべてを知ったキャロラインは、メアリーに厳しくし、追い詰めていたことを深く反省します。

キャロラインもまた、メアリーに謝ります。最後はお互いを許し合い、ようやくわだかまりが解けます。
この回もやはり名作でした。特にメアリー演じる、メリッサ・スー・アンダーソンの演技力が改めてすごい。
ちなみにこの話の原題は「The Award」。一般的には「賞」と訳されますが、本来は「熟考して裁く」という意味も含んでいます。
母として、過ちを犯した娘を厳しく裁かなければならない。そんなキャロラインの苦しい決断がこのタイトルには込められているように思います。
しかし、誰かが失敗したときに本当に大切なことは、罰を与え裁くことではなく、その痛みに寄り添い、立ち上がる力を信じてあげることではないでしょうか。
そんなメッセージが、隠されているのではないでしょうか?皆さんも、自分や誰かを裁きすぎてはいませんか。
『大草原の小さな家』の「メアリーの失敗」というエピソードの中に、信賞必罰という言葉が出てきます。