もし人が記憶を失ったなら、それでも家族や大切な人を同じように愛せるのでしょうか。
あらすじ
スミスと呼ばれる男は、第一次世界大戦の負傷が原因で、記憶喪失です。自分がどこの誰なのかも分かりません。
彼を助けた踊り子ポーラと恋に落ち、やがて結婚します。
しかし事故をきっかけに、元の記憶を取り戻すと同時に、彼女との記憶を失ってしまいます。
人格とは何か?
チャールズがポーラに出会ったとき、彼は完全な記憶喪失で、誰でもない存在でした。
映画の中だけの話ですが、記憶喪失者で自信満々な人を私は見たことがありません。自己イメージがないからでしょう。
「私は大富豪の息子で、ある思想と信念を持ち、性格はこうで、他人からはこう思われており……だから私はこういう人間なのだ!」
というものがありません。子供のように真っ白です。
事実、映画では、どこか子供のように振舞っています。だから純粋な心で、ポーラと接することが出来たのです。
しかし、記憶が戻った後の彼は、思考にフィルターがかかっていました。以前と同じようには、彼女を見ることが出来ないのです。
「私は踊り子なんていう低俗な女性と付き合う男ではない!」とかいうタイプだったかは知りませんが。
それまで積み重ねてきた様々な条件付けが、彼の目を曇らせていたのです。
結局のところ、人格の一部を形成するマインドとは、過去の記憶の寄せ集めにすぎないのかもしれません。
しかし、ハートは別です。そこにはその人間の本性が宿っています。だから心の奥底の、とても深いところでは、ポーラに惹かれていたのです。
ハートの声
チャールズが、姪のキティと婚約したときのこと。礼拝堂で、結婚式に使う讃美歌選びをしていました。
そこで牧師がオルガンで弾いた曲が、全き愛。
それは、ポーラと結婚式を挙げたときに使った讃美歌だったのです。ふと、遠くを見つめるチャールズ。その目を見た瞬間、キティは悟ります。
彼には、誰か他に愛する人がいると。
二つのネックレスが語るもの
このマインドとハートのズレは、劇中に登場する二つのネックレスに象徴されています。
まだ、何者でもないスミスだった頃、彼はポーラの誕生日に真珠のネックレスを贈りました。それは、二人の純粋な愛の象徴です。
一方、成功者チャールズも、豪華なエメラルドのネックレスを贈ります。それが表すのは富と、愛の不在です。
高価なネックレスを受け取り、涙を流すポーラ。このシンプルな演出の中に、愛こそが真に価値あるものだと、観る者の心に深く刻み付けます。
私はここに、他のどんな名作とも違う特有の輝きを感じるのです。
物語の最後(ネタばれ注意)
この映画のラストが、実に面白い。
チャールズが、過去に来た場所をもう一度訪れるなかで、記憶にかかった霧が、徐々に晴れていく演出は、どこかサスペンス風。緊張感があります。
すべてを思い出したチャールズを、ポーラが「スミシィ」と昔の愛称で呼び抱き合う場面は、私の父も「やっぱり愛なんだよなぁ」と唸るほど。
映画史に残る名シーンです。
彼は、再び愛を取り戻しました。ですが実際には、何も失われてはいませんでした。
ただ、思い出しただけです。初めからあったハートの愛を。
思い出す――それは、誰もが心の奥底に持っている、大切な何かと繋がる瞬間のようにも感じます。
マインドは記憶を基に愛を定義しますが、ハートは直観に従います。
この映画が名作として語り継がれるのは、条件付けられた愛ではなく、あるがままの愛を描いているからではないでしょうか。
まだ観ていない人にはぜひ、お勧めしたい作品です。
あるいは前に観たけれど、記憶に無いという方も、ご鑑賞あれ。



