岩城和平先生の教え「世界に残虐性がある理由」

2026年2月11日

以前、幸福の科学の教祖、大川隆法氏と、田原総一郎氏の対談動画を見ました。


その中で、田原総一郎氏が面白いことを言ってました。「私は神がいないとは言っていない。神は意地悪だ!」


確かに!もし、神が存在するばらば、なぜ戦争のような虐殺を許すのか?多くの人が神に不信感を抱く理由もここにあると思います。


ある人はこう言います。神は人間に選択するという自由を与えた。人間の意志を神は尊重した、と。


かもね。


しかし、岩城和平先生の教えによれば、人間に自由意志は全然ありません。ラーマクリシュナも全く同じことを言っています。神のみが行為者であると。


しかし、神が全部やってるならば、戦争を起こすのも人間ではなく神。「神は愛なり」と説く覚者たちの教えとは、矛盾するのではないでしょうか?


なぜ世界には残虐性があるのか?


その辺りの疑問を、和平先生にぶつけてみました。その時の答えを紹介します。



2026年1月25日の勉強会より

和平先生 それはねぇ。この世界が相対的だからなの。適度な残虐性しかなければ、適度な愛しかない。合わせ鏡のように絶対的なバランスが存在してるの。


私 でも愛は、善と悪のような二元性を超越してるのではないでしょうか?


和平先生 愛はね。善なの。バランスが存在する世界を超越したところに、存在する神っていうのがあるの。


その神を表現するならば愛なんだけど、愛を超越してるの。光に似てるわけよ。


光って善なんだよね。でも神に向いたときに感じる光って何かっていうと、それは光ではない。でも光ってる。


光と闇は必ず相対関係にある。愛と憎しみも相対関係にある。相対関係にある以上、愛も光も善なの。


愛と光を超越してるのが神なわけ。だから、絶対的な神ってのは光でもなく闇でもないもの。愛と憎しみも超越している。


神が持っている、人類に対しての愛っていうのは、愛という言葉では表現できないの。愛を超えてるの。


でもその性質な何なのかって、次元を落としてきて考えると「まあ、それは愛だよね」てことになるわけ。


あの神の輝きって何なのかって、次元を落としてきて考えると「あれは光だね」となる。


じゃあ神は光なのか?って言ったら、光が神ではないわけ。愛は神なのかっていったら、愛が神ではないわけ。


でも神は愛であり、光でもあるものなの。


幸福もそう。歓喜とか平安、喜び。言葉が存在する以上、対義語があって、対義語があるものはすべてマーヤが絡んでくるってことなの。


神はそれを超越している存在ってことなの。


神様はこの世界を完璧に作り込んでるわけ。細部にいたるまで、それが存在してるかのように、存在させてるの。


なんでかっていうと、少しでもボロがあると、この世界はフェークだと気づかれちゃうじゃん。


だから、残虐性とか美しいものとか、色々なものがこの世界には存在するけど、それらが存在するのは、必ず何かの理由があって存在してることなの。すべて。


だから考えても分かんないことは、考えない方が良い。宇宙がどこまであるのかとか。それはマーヤだなと思わなければならない。


僕も昔あった。「神よ、なぜあなたはかくも悲惨な世界を…」みたいな。


そう思いながら瞑想してたら、神からお言葉がパッっと来まして。「お前の知ったこっちゃない」って言われた。


その言葉にフォーカスしてたら、確かに!ってなった。それは神の問題であって俺の問題じゃないな、と。


それからは、世を憂うことはなくなった。


とにかく神がやってて、それぞれの人にとって必要なことが起こっている。我々は我々に与えられた人生を生きること。我々にとっての現実に取り組む。


それが神さまの我々一人一人に対するプログラム。その現実を生きる。それが我々に与えられた任務なの。


自分に関係ないことを考えてもしょうがない。それは全部マーヤなの。

(引用終わり)



結論

マーヤです。以上!


しかし、田原総一郎氏がいう「神は意地悪だ」という意見に答えるならば、神を相対する次元を超えてみるべし、ということですかね。


もし神の愛を知りたければ、神の次元に行くしかありません。あるいはそれを体験した教師の言葉を信じるか?


どちらにせよ愛と言葉にした瞬間、それはもう神の愛ではないということなのでしょう。



映画「マトリックス」と不幸

悟りの世界観を描いたSF映画の金字塔「マトリックス」。この物語には世界に不幸が存在するヒントが隠されています。



むかしむかし(未来の話だっけ?)AIロボットとの戦争に負けた人類は、仮想現実(マトリックス)の世界の中に、脳が繋がれてしまいます。


住民はその世界が現実だと信じています。


そこは顧客満足度100%の完璧な楽園でした。しかし、何度もその世界は崩壊したのです。人は幸せ過ぎると「この世界は何かがおかしい」と気づくからです。


たまに「幸せ過ぎて夢かしら?頬っぺた、つねって」なんて言う人がいますが、そんな感じでしょうか?


完璧な世界は、人間の心理にとってあまりにも不自然なのです。


仮想現実の世界と気づかれない為に、世界を不完全なものと思わせる必要がありました。そこでAIは、人類に新たな幻想、自由意志を与えました。


「自分の意思で行動している」という感覚と、選択によって生じる失敗や挫折、劣等感──すべてが、『これは現実だ』と信じさせる仕組みなのです。


自由意志は、人を苦しめる原因でありながら、仮想世界の信頼性を支える重要な要素でもあるのです。


この視点から見ると、世の不幸にも存在意義がありそうです。


和平先生が言う通り、この世界は完璧なのだから、そこに存在する全てのものには、何らかの理由があるのでしょうね。


それでは今日はこの辺で。