以前、幸福の科学の教祖、大川隆法氏と、田原総一郎氏の対談動画を見ました。
その中で、田原総一郎氏が面白いことを言ってました。「私は神がいないとは言っていない。神は意地悪だ!」
確かに!もし、神が存在するばらば、なぜ戦争のような虐殺を許すのか?多くの人が神に不信感を抱く理由もここにあると思います。
ある人はこう言います。神は人間に選択するという自由を与えた。人間の意志を神は尊重した、と。
かもね。
しかし、岩城和平先生の教えによれば、人間に自由意志は全然ありません。ラーマクリシュナも全く同じことを言っています。神のみが行為者であると。
しかし、神が全部やってるならば、戦争を起こすのも人間ではなく神。「神は愛なり」と説く覚者たちの教えとは、矛盾するのではないでしょうか?
なぜ世界には残虐性があるのか?
その辺りの疑問を、和平先生にぶつけてみました。その時の答えを紹介します。
2026年1月25日の勉強会より
和平先生 それはねぇ。この世界が相対的だからなの。適度な残虐性しかなければ、適度な愛しかない。合わせ鏡のように絶対的なバランスが存在してるの。
私 でも愛は、善と悪のような二元性を超越してるのではないでしょうか?
和平先生 愛はね。善なの。バランスが存在する世界を超越したところに、存在する神っていうのがあるの。
その神を表現するならば愛なんだけど、愛を超越してるの。光に似てるわけよ。
光って善なんだよね。でも神に向いたときに感じる光って何かっていうと、それは光ではない。でも光ってる。
光と闇は必ず相対関係にある。愛と憎しみも相対関係にある。相対関係にある以上、愛も光も善なの。
愛と光を超越してるのが神なわけ。だから、絶対的な神ってのは光でもなく闇でもないもの。愛と憎しみも超越している。
神が持っている、人類に対しての愛っていうのは、愛という言葉では表現できないの。愛を超えてるの。
でもその性質な何なのかって、次元を落としてきて考えると「まあ、それは愛だよね」てことになるわけ。
あの神の輝きって何なのかって、次元を落としてきて考えると「あれは光だね」となる。
じゃあ神は光なのか?って言ったら、光が神ではないわけ。愛は神なのかっていったら、愛が神ではないわけ。
でも神は愛であり、光でもあるものなの。
幸福もそう。歓喜とか平安、喜び。言葉が存在する以上、対義語があって、対義語があるものはすべてマーヤが絡んでくるってことなの。
神はそれを超越している存在ってことなの。
神様はこの世界を完璧に作り込んでるわけ。細部にいたるまで、それが存在してるかのように、存在させてるの。
なんでかっていうと、少しでもボロがあると、この世界はフェークだと気づかれちゃうじゃん。
だから、残虐性とか美しいものとか、色々なものがこの世界には存在するけど、それらが存在するのは、必ず何かの理由があって存在してることなの。すべて。
だから考えても分かんないことは、考えない方が良い。宇宙がどこまであるのかとか。それはマーヤだなと思わなければならない。
僕も昔あった。「神よ、なぜあなたはかくも悲惨な世界を…」みたいな。
そう思いながら瞑想してたら、神からお言葉がパッっと来まして。「お前の知ったこっちゃない」って言われた。
その言葉にフォーカスしてたら、確かに!ってなった。それは神の問題であって俺の問題じゃないな、と。
それからは、世を憂うことはなくなった。
とにかく神がやってて、それぞれの人にとって必要なことが起こっている。我々は我々に与えられた人生を生きること。我々にとっての現実に取り組む。
それが神さまの我々一人一人に対するプログラム。その現実を生きる。それが我々に与えられた任務なの。
自分に関係ないことを考えてもしょうがない。それは全部マーヤなの。
(引用終わり)
結論
マーヤです。以上!
しかし、田原総一郎氏がいう「神は意地悪だ」という意見に答えるならば、神を相対する次元を超えてみるべし、ということですかね。
もし神の愛を知りたければ、神の次元に行くしかありません。あるいはそれを体験した教師の言葉を信じるか?
どちらにせよ愛と言葉にした瞬間、それはもう神の愛ではないということなのでしょう。
映画「マトリックス」と不幸
悟りの世界観を描いたSF映画の金字塔「マトリックス」。この物語には世界に不幸が存在するヒントが隠されています。

むかしむかし(未来の話だっけ?)AIロボットとの戦争に負けた人類は、仮想現実(マトリックス)の世界の中に、脳が繋がれてしまいます。
住民はその世界が現実だと信じています。
そこは顧客満足度100%の完璧な楽園でした。しかし、何度もその世界は崩壊したのです。人は幸せ過ぎると「この世界は何かがおかしい」と気づくからです。
たまに「幸せ過ぎて夢かしら?頬っぺた、つねって」なんて言う人がいますが、そんな感じでしょうか?
完璧な世界は、人間の心理にとってあまりにも不自然なのです。
仮想現実の世界と気づかれない為に、世界を不完全なものと思わせる必要がありました。そこでAIは、人類に新たな幻想、自由意志を与えました。
「自分の意思で行動している」という感覚と、選択によって生じる失敗や挫折、劣等感──すべてが、『これは現実だ』と信じさせる仕組みなのです。
自由意志は、人を苦しめる原因でありながら、仮想世界の信頼性を支える重要な要素でもあるのです。
この視点から見ると、世の不幸にも存在意義がありそうです。
和平先生が言う通り、この世界は完璧なのだから、そこに存在する全てのものには、何らかの理由があるのでしょうね。
それでは今日はこの辺で。