青年と哲人との会話形式で、アドラー心理学を分かりやすく解説した名著です。著者は、岸見一郎・古賀史健氏。
私が興味を持ったのは、この本の中に出てくる、共同体感覚という言葉。これがアドラー心理学を知る上でのカギだそうです。
そしてまた共同体感覚は、対人関係のゴールであるとも述べられています。
しかし私は、この共同体感覚を、一般的な認識とは違った解釈をしています。すなわち、共同体感覚とは、ワンネス体験のことです。
共同体感覚とは
以下、嫌われる勇気より抜粋。
青年 では伺います。ここはシンプルに、結論だけお答えください。先生は、課題の分離は対人関係の出発点だとおっしゃいました。じゃあ、対人関係の「ゴール」はどこにあるのです?
哲人 結論だけを答えよというのなら、「共同体感覚」です。
青年 ……共同体感覚?
哲人 ええ。これはアドラー心理学の鍵概念であり、その評価についてもっとも議論の分かれるところでもあります。
事実、アドラーが共同体感覚の概念を提唱したとき、多くの人々が彼のもとを去っていきました。
青年 おもしろそうじゃありませんか。それで、どういう概念なのです?
哲人 以前、他者のことを「敵」と見なすか、あるいは「仲間」と見なすのか、という話をしましたね?
ここでもう一歩、踏み込んだところを考えてください。
もしも他者が仲間だとしたら、仲間に囲まれて生きているとしたら、われわれはそこに自らの「居場所」を見出すことができるでしょう。
さらには、仲間たち──つまり共同体──のために貢献しようと思えるようになるでしょう。
このように、他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを、共同体感覚といいます。
青年 いったいどこが議論の分かれる話なのです? 至極まっとうな主張じゃありませんか。
哲人 問題は「共同体」の中身です。あなたは共同体という言葉を聞いて、どのような姿をイメージしますか?
青年 まあ、家庭や学校、職場、地域社会といった枠組みですよね。
哲人 アドラーは自らの述べる共同体について、家庭や学校、職場、地域社会だけでなく、たとえば国家や人類などを包括したすべてであり、時間軸においては過去から未来までも含まれるし、さらには動植物や無生物までも含まれる、としています。
青年 はっ?
哲人 つまり、われわれが「共同体」という言葉に接したときに想像するような既存の枠組みではなく、過去から未来、そして宇宙全体までも含んだ、文字通りの「すべて」が共同体なのだと提唱しているのです。
青年 いやいや、まったく意味がわかりませんよ。宇宙? 過去や未来? いったい、なんの話をされているのです?
哲人 この話を聞いた大半の人は、同じような疑問を抱きます。即座に理解するのは無理でしょう。
アドラー自身、自らの語る共同体について「到達できない理想」だと認めているくらいです。
共同体感覚とワンネス体験
この箇所を読んで、アドラーが本当に言いたかったことは、神秘家がいうところの、いわゆるワンネス体験のことではなかろうか、と思いました。
この本は、アドラー心理学を、岸見一郎・古賀史健氏が解釈した内容なので、それとは違う説明になっています。
ただ、アドラー自身が書いた本を読むと、嫌われる勇気の内容とは少し矛盾を感じる箇所があることも事実。
しかし、それ自体はまったく問題ではありません。嫌われる勇気は、アドラー自身の著書よりも、個人的には好きなので。
心理学の巨頭、アドラーという名の権威にこだわる必要もありません。嫌われる勇気を、岸見一郎・古賀史健氏の独自の哲学として読んだとしても、大変、勉強になる名著です。
瞑想におけるワンネス体験とは
瞑想家や神秘家のあいだでは、個人は存在しないとされています。
私という分離の感覚が落ちた時に残るもの、それは宇宙、全体です。そこに他者と自分という区別は残りません。
過去と未来も、今の中に包括されます。これがワンネス体験です。残念ながら、私自身は体験していません。説得力なくて、すんません!
しかし私の知り合いに、このワンネス体験をした人が数名います。これは直接、その体験をした人物から聞いた話です。
ある女性のワンネス体験
あれは、忘れもしない10年前の春の出来事。(秋だったかも?)1週間の、泊まり込み座禅会に参加した時の話。
参加者はその期間、会話は禁止。アイコンタクトも禁止。手話は微妙。完全に、自分自身と向き合うことに集中します。
1日何時間も、ただ座り続けます。地味に苦行。途中、歩行瞑想というものもやります。座り続けると、歩く時間が、唯一の救い。
座禅会が終了したあとは、みんなでお茶会をしました。反省会ですね。まるまる1週間、沈黙を続けていたので、参加者全員、しゃべるしゃべる、よく喋る。
その時に、実に興味深い話を聞きました。ある女性が、不思議な体験をしたというのです。
ごく普通の主婦である彼女は、瞑想をするのも、ほぼ初めてだったそうです。彼女は、開口一番、私に向かって、真顔でこう言いました。
私って神なの…
最初、それを聞いて思わず爆笑。しかし、詳しく聞くと違います。瞑想中、彼女は、体が宇宙全体に広がるのを感じたそうなのです。
個人の境界線が消え、他者の存在を、自分の中に感じたそうなのです。すべてが、ひとつに包括される感覚。ある覚者は、それを愛だと表現しました。より高い愛だと。
彼女は、最初に見た時とは、明らかに表情が穏やかになっていました。確かに何か、深い体験をしたようです。
彼女の話は、アドラーのいう共同体感覚と、非常に酷似しています。
アジャシャンティの自叙伝より
アジャシャンティは、自身のワンネス体験について、より詳しく語っております。
しかし、このような特異な体験をした人の話を、アドラーが聞いていたとしても、不思議ではありませんよね。
今となっては、真意のほどは分かりません。永遠の謎です。